幸田露伴『蒲生氏郷・平将門』(大正14年)

 2020年最初の読書は幸田露伴の史伝『蒲生氏郷平将門』。

蒲生氏郷,平将門

蒲生氏郷,平将門

 

蒲生氏郷を、奥州仕置後のライバル伊達政宗との対比で描く『蒲生氏郷』も読み応えがあったのだが、一端のパトリオットとしては『平将門』こそ読みたかった部分である。

平将門』の基本的な特徴であり面白いところは、将門を名分論的観点から逆臣・叛臣として描くのではなく、一種の侠客として描くところ、従って将門の事跡を一種の任侠物として構成したところだろう。将門を反逆者として描くのは皇国史観華やかなりし頃であれば否定的評価であるし、逆に戦後であればある種の好意的評価であろう。しかしそういった名分論を超えた地平で、私闘が徐々に坂東全体を巻き込む謀反に転化していく物語を軽妙な筆致で描き出す、それがこの小説の魅力である。

以下、その中でも特に印象深い文章を二つほど。(表記は旧字体の漢字のみ通用字体に改める。)

誰にでも突掛かりたがる興世王も、大親分然たる小次郎〔相馬小次郎の略、要するに将門のこと――引用者注〕の太ッ腹なところは性に合ったと見えて、其儘遊んで居た。多分二人で地酒を大酒盃かなんかで飲んで、都出の興世王は「どうも酒だけは西が好い、いくら馬処の相馬の酒だって、頭の中でピンピン跳ねるのはあやまる、将門、お前の顔は七ツに見えるぜ」なんのかのと管でも巻いてゐたか何様か知らないが、細くない根性の者同士、喧嘩もせずに暮して居た。(217-218頁)

興世王は武蔵権守として着任した際に土豪と揉めて将門に仲裁されたが、その後将門に従い、新皇即位の際の除目で上総守に任命された人物であるが、その彼と将門の関係は親分子分の関係として描かれているわけである。

もう一つ、下総国民として見過ごせない一節。

常陸下総といへば人気はどちらも阪東気質で、山城大和のやうに柔らかなところでは無い。野山に生へる杉の樹や松の樹までが、常陸ッ木下総ッ木といへば、大工さんが今も顔をしかめる位で、後年の長脇差の侠客も大抵利根川沿岸で血の雨を降らせあってゐるのだ。神道徳次は小貝川の傍、飯岡の助五郎、笹川の繁蔵、銚子の五郎蔵と数へ立ったら、指がくたびれる程だ。元来が斯様いふ土地なので、源平時分でも、徳川時分でも変りは無いから、平安朝時代でも異なっては居ないらしい。(224-225頁)

要するに将門の乱は天保水滸伝とおおよそ同じだというわけである。こういう書きぶりが積み重ねられている結果、読者には任侠物風の講談の延長として将門の物語が受け取られたのではないだろうか。まあ、幸田露伴の小説を読んだのは初めてなので、どういう狙いなのかなどという重大な問題は論じることはできないのだけれど。