若きハルデンベルクの放埒

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 近代ドイツ史を語る上で欠かせない人物の一人といえば、カール・アウグスト・フォン・ハルデンベルク(Karl August von Hardenberg, 1750-1822)である。ハノーファーの貴族出身の彼は、ハインリヒ・フリードリヒ・カール・フォン・ウント・ツム・シュタイン(Heinrich Friedrich Karl vom und zum Stein, 1757-1831)と同時期にプロイセン改革に携わって数々の自由主義的改革を断行し、また解放戦争においてナポレオン打倒の政略をめぐらし、19世紀プロイセンの礎を築いた。そんな彼の大学時代のやんちゃぶりを記したロタール・ガルの伝記の一節(Lothar Gall, Hardenberg: Reformer und Staatsmann, München 2016, S. 18)が興味深かったので、以下試みに訳してみた。

 

 ハルデンベルクがまだライプツィヒに滞在している間にゲラート*1が彼の両親に詳しい手紙を書き送り、その中でゲラートがこの青年の知識欲、勤勉さ、あらゆる方面に開かれた知性を褒め称え、彼を成長途中の紳士の模範として描写したことは、両親を安堵させた。息子は故郷の環境から解放されたことをいいことに、勉学以外の目的をも追求しているのではないかという考えは払拭された。この学生にはライプツィヒでの生活と勉学のために元々潤沢な仕送りが与えられていたが、それをはるかに上回る膨大な出費をみれば、そのような考えが両親の頭に浮かんできても不思議ではなかった。ハルデンベルクは借金を重ね始めたが、これは以降生涯彼につきまとうことになる。

 彼の激しい出費はとりわけ、彼が毎日のように準備した会食や宴会によって生じた。彼が1780年代後半にブラウンシュヴァイクでしたためた『我が健康状態に関するメモ(Aufzeichnungen über meinen Gesundheitszustand)』では簡潔にこう記されている。ハルデンベルクは「若い頃、飲んだくれや食道楽ではなかったにせよ、しばしば愉快な集まりで大酒を喰らい、盛んな食欲の赴くまま、おそらくは健康に良い量以上に食べた」。これに数々の艶事が加わったが、同じ箇所で彼は手短にこう記している。「私は決してふしだらではなかったが、しかし人生のある時期には愛の快楽をかなり、そして時にはおそらく過度に楽しんだ」。これはとりわけ彼のライプツィヒ時代に関係することであったが、その頃の不品行について両親はほとんど何も知らなかった。ハルデンベルクは当時、彼の生活と行動について週毎に報告しなければならなかった家庭教師の監視の目を、家庭教師の態度の悪さを訴えるという策略で免れていたからである。

 

 

…当時の大学生の乱暴狼藉は、同時期にライプツィヒにいたゲーテの『ファウスト』からも窺い知ることができるけれども、ハルデンベルクはまさにそのタイプの学生だったようである(もちろん真面目に勉強もしていたようだが)。後にプロイセンのみならずヨーロッパの政局を左右した大政治家が、「飲む・打つ・買う」(もはや死語かもしれない)を地で行っていたと想像すると、なんだか人間味を感じるし、大学生のやんちゃにも多少は目を瞑ろうという気になる。というか瞑って下さい、お願いします。

 

Hardenberg: Reformer und Staatsmann

Hardenberg: Reformer und Staatsmann

  • 作者:Gall, Lothar
  • 発売日: 2018/07/03
  • メディア: ペーパーバック
 

 

*1:Christian Fürchtegott Gellert, 1715-1769。『寓話と物語』(Fabeln und Erzählungen)など。ゲーテの『詩と真実』には彼の講義についての詳しい描写がある。